自作無料ゲーム「戦国風表計算野球」を自ら遊んだプレイ日記。
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Posted by 納豆城 護
 
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佐野 昌綱
戦国の話 >>

以前、関東の戦国時代を知ろうと『関八州古戦録』を読んだが、
すっっっっっかり忘れているので再度読み直しました。

関八州古戦録 上 新装 (原本現代訳 28)関八州古戦録 上 新装 (原本現代訳 28)
(1997/07)
槙島 昭武

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とりあえず上巻だけ。

尚、表題の佐野昌綱ですが、この戦記には、
あまり多く出てきません。

まず、永禄2(1559)年の北条氏政軍3万5千が栃木城に押し寄せたクダリ。
「城主佐野周防守昌綱は名にし負う剛気の将で、、、、、、、
必死の防戦させた」

十重二十重に栃木城を囲む北条軍をかき分けて、
わずか45人の主従を連れた上杉輝虎が栃木の城門に到着、
「佐野昌綱が四、五十騎で走り出ると、輝虎の馬の口にすがり、
感涙にむせんで迎え入れた」
これを見てやる気をなくした北条軍が、撤退しちゃう、という話。
こりゃ、佐野昌綱っていうより、上杉輝虎賛美のエピソードだね。

次は、昌綱が死んだあとの話。
弟の天徳寺了伯がもう上杉に味方しないってよ、
裏切り者め~、
という話です。

でも他の情報をチラチラ見ると。
早い内に反上杉に転じ、堅城:唐沢山城に籠って、
何度も越後の龍:上杉謙信を撃退した、
という記載が多いですよ。別に、昌綱は上杉命じゃなかったんでは?

↓ 以下、『戦国人名事典』より
古河公方足利義氏にしがたい、武田信玄・北条氏康と結んで
上杉謙信と戦った。
永禄4(1561)年から天正2(1574)年
にわたり計十回も謙信の攻撃をうけたが
城を守り続けた。


↓ 堅城:唐沢山城がある唐沢山。

より大きな地図で 無題 を表示


長野、横瀬(由良)、佐野、大関、真壁、
多賀谷、成田、太田。。。。。

彼らは、上杉や佐竹・武田・北条という
大勢力の狭間に遊泳する坂東平原の小勢力たち。
魅力あるので、もっとよく知りたいです。

関八州小勢力の意地、その一つの象徴:唐沢山。
「剛気の将」が「計十回」上杉を退けた昌綱の城。
佐野ラーメンとセットで見に行きたいですね。
ラーメン屋は、できれば元西武ライオンズ:小関竜也の
実家で。
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Posted by 納豆城 護
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[戦国

thema:歴史 - genre:学問・文化・芸術


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