自作無料ゲーム「戦国風表計算野球」を自ら遊んだプレイ日記。
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Posted by 納豆城 護
 
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小弓 義明
戦国の話 >

ジョギングの累積距離が58.6kmになり、
丁度、百首城~小弓御所の距離になったよ、
という記事を載せました。>>click!!!!

小弓(おゆみ)御所。

永正14(1517)年頃、真理谷武田氏に招かれた
足利義明が入ったといいます。
千葉市中央区、JR浜野駅から約2kmの八剣神社がその位置です。
行ったことないけど。

↓ 小弓御所に関する、我が家唯一の参考文献

新編房総戦国史

初版:2000/8/20

売り切れ中。


関東の戦国本を読むと、どうも混乱してしまう。

上杉は、関東管領なんだけど、
それが扇谷と山内の2家に分かれて、
それがいつの間にか越後の長尾が上杉になっちゃうし、
足利は、室町時代の最初から、京都の将軍家と鎌倉公方家に
分かれてるけど、鎌倉公方は古河に引っ越して古河公方と名前が変わっちゃって、
京都から対抗馬として差し向けられたヤツも居て、こいつが堀越公方と名乗るし、
更に何か知んないけど、小弓公方とかいうのがいつの間に居て、
更にこの末裔が喜連川と名字を変えて、喜連川藩を立てている。。。。。

って、分かりづらいわ!!!!

ただこの「いつの間にか居る」小弓公方、
っていうか、足利義明だけど、
戦国初期の関東では、コイツが、ちょこちょこ活躍するんですよね。
読みが「アシカガヨシアキ」で、最後の将軍:足利義昭とカブり、
これまた混乱するが。


古河公方 : 政氏 --- 高基 --- 晴氏
               |
               -- 義明


義明は、古河公方:足利政氏の次男坊なんですね。
永正13(1516)年、高基が父:政氏を古河から追い出したので、
義明が「兄貴の勝手にはさせん!」と思い、
真理谷武田の招きに乗って、小弓公方として独立、兄貴に対抗したわけです。

『快元僧都記』には、政氏が義明を勘当した記事があるとのこと。
「小弓上様、~先年御父政氏様御勘当アリ。奥州エ御下向有之」
東北に追い出されたようです。

骨のある人だったんじゃないでしょうか。

北条や長尾にいいように蹂躙され、傀儡化される
他の「足利」や「上杉」と違い、
主体性を持ち、積極的に動いている。自分で戦場にも立つ。
実際、真理谷武田の傀儡から脱却して、
自分の足で立っている。

この後、天文7(1538)年の国府台で戦死するまで、
真理谷武田、里見、北条を巻き込んで、
古河公方に対抗し続けます。

義明の死後、小弓公方は事実上滅亡しますが、
遺児:頼淳が里見を頼って存命し、その子国朝の時に喜連川藩として
命脈を近代に存続。

小弓義明、その子孫も骨がある、といった所でしょうか。
信濃の諏訪、日向の伊東もそうですが、一端衰えても、
諦めない家は、素晴らしい。



ただ、小弓義明としては子孫のことはともかくとして、
何といっても、第1次国府台が悔恨だったでしょう。
小弓義明の頼みの綱、

里見義堯のモチベーションが、えらい低かった。


義堯の嫡男:義弘は、渡海して北条領に攻め込んだ際、
恋い焦がれた義明の娘:青岳尼を、鎌倉からかっさらいましたが、
国府台での親父の対応をあとから聞いてどう思ったでしょうか。

国府台の戦いについてはいずれまた書きます。

↓ この本では小弓義明の立場悪し。

里見義堯(よしたか) 北条の野望を打ち砕いた房総の勇将 (PHP文庫)里見義堯(よしたか)
北条の野望を打ち砕いた房総の勇将
(PHP文庫)

(2005/12/02)
小川 由秋

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thema:歴史 - genre:学問・文化・芸術


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