自作無料ゲーム「戦国風表計算野球」を自ら遊んだプレイ日記。
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Posted by 納豆城 護
 
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百首城
戦国の話 >>

読み方:  ひゃくしゅじょう
またの名: 造海城(つくろうみじょう)
所在地:  千葉県富津市竹岡

百首城は、千葉県の内房にありました。
東京湾に面していて、昔の国名でいうと上総国になります。
ぐーぐるあーす で見てみると、改めて安房国との近さに気付かされます。
で、海の沿った縦500m、横300mの洋ナシ型に緑に包まれた独立丘だとわかります。

つまり。
安房から発した戦国大名里見氏が、
まずは上総武田氏(真理谷氏)をやっつけるあたり、
そのあと相模の北条と、バチバチするにあたり、
とても重要な拠点となった山城である。

ってのが、ぐーぐるあーす を眺めていて感じられます。

経済的にも内海(東京湾)経済を考えると重要な感じがします。
浦賀水道ののど元ですからね。この点は2番で語ります。


1 百首?

戦国里見氏はまくらことばのように、資料不足と言われるので、
どうしてもこれを見てしまう。
里見軍記・里見九代記・里見代々記 (日本合戦騒動叢書)里見軍記・里見九代記・里見代々記 (日本合戦騒動叢書)
(1999/05)
稲田 篤信

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この本最初の『里見軍記』、「真理谷攻め」の項ですね。

安房里見初代の義実は、嫡男義成(当時25)に
真理谷氏が籠る造海城攻めを命じる。
籠城する真理谷当主の道鑑と一族の真理谷丹波は
「里見家は文武兼備のお家柄と聞く。
まことにその通りならば、この景色をひとときの間に百首の和歌に詠じ
お並べになったなら、降参いたす。あなたの御旗の下に付きましょう」
と書状を持たせる。
で、里見義成は、ばーっと百首読んで、「ほらよ」と
城方に持たせる。これにより真理谷丹波は降参してしまう。

という筋。

「里見軍記」や「里見九代記」ってのは軍記物だから当然信憑性は
低いですが、メルヘンチックでいいんじゃないでしょうか。

三方が原の野田城攻めの途中、信玄が笛の音に聞き惚れて
射られて死んだ話、
桶狭間の前に信長が「敦盛」を舞い「にんげんわずか~~
50うううう~~、ねん~~~」とやる話、
三国志なら周瑜がプロのバンドに対して、
「チミ、いま半音下だったよ」みたいなことを言う話、
いずれも風流で好きです。


2 経済性

千野原靖方『新編房総戦国史』※ では「武州文書」からこんな話。
秀吉の小田原征伐(1590年)の前年、当時の里見当主:義康は
安房~武蔵・下総便を「検査」と称して、とにかく、百首に寄れ!!!
と命じる。寄ったら税金かけないからさ、良くね?と。

こういう話になるのも、百首城の立地が良かったからでしょうね。
浦賀水道ののど元ですし、淡水の河口も近接し、
本丸まで登れば見晴らし抜群、浦賀水道は一望のもと。


里見の城というと、稲村、久留里、岡本、佐貫、館山、勝浦(正木?)と
色々ありますけど、ロマンティックのインパクトですかね、
中でも百首の印象が強いです。

そんなこんなで、戦国風表計算野球のプレイ日記で、
わが南総シャークスの本拠地は「百首球場」にしています。
あの城山に球場作るのはNGですけどね、
春の晴れた浦賀水道を見下ろすシーサイドの球場があったら
気持ちいいんではないか、

と妄想しました。


※千野原靖方『新編房総戦国史』は下記の本
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(2000/08)
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